孔雀草





「魚屋殿。こちらにいらっしゃいましたか」
「あ、石田サン。弥九郎でえぇって言うてるじゃないですかー」
 明るい日差しを受けて畳に出来た格子の影が動くと、流れるような動作で石田佐吉が入ってきた。
 日常のささやかな動きにまで無駄がなく美しい男だと弥九郎は思う。
 ヘラっと笑う弥九郎を無視し、佐吉は弥九郎の向かいに腰を下ろす。
「宇喜多殿の御子息がお着きになりましたよ」
「わー、無視やし……」
 酷ーい、とふざける弥九郎を佐吉が強く睨むと、彼はまたヘラっと笑う。
「そうみたいですねぇ。さっきっから何や随分賑やかで」
「ご挨拶に行かなくてよろしいので? お会いになるのは久方振りでしょう」
 弥九郎は元々堺の商人の子だが、備前の商家へ養子に行き、そこで領主の宇喜多直家によって士分に取り立てられた。
 今回、宇喜多が羽柴、ひいては織田と手を結ぶに当たって父親を通して羽柴家と関わりのあった弥九郎が使者に抜擢された。そもそも、それを見越して羽柴と繋がりのある弥九郎を宇喜多家に置いていた感が直家にはある。
 何の思惑があったのか、弥九郎は割合直家の側近くにいることが多く、自然と直家の息子八郎とも親しくなっていた。その八郎が、備前から織田臣従の証として秀吉の元に送られてきたのだ。
「羽柴様へのご挨拶が終わった頃に伺いますよ。今行ったら羽柴様やおねね様だけやなく、お歴々もおられるやろから」
「そうか。では、八郎君が私室に戻られたら知らせましょう」
 佐吉は自分と八郎が会えるよう、わざわざ八郎到着を知らせてくれたのだと弥九郎は気付いた。
 気遣いなどとは無縁そうなツンと澄ました顔ばかりしているが、佐吉は常に周りに気を配っている。
 しかし優しい心配りも、融通の利かない態度と横柄な口調で気付かれ難くしてしまう性分の男だ。主である秀吉は兎も角、同じ羽柴家中に表面だけでなく彼の本心にまで考えを及ぼしてくれる人が何人いるだろう。
 またヘラっと笑う弥九郎に立ち上がろうとしていた佐吉が不審そうな顔をして座り直す。
「……何か?」
「いやぁ、石田サンは可愛えぇし、優しいし、言うこと無いなぁと……」
「……魚屋殿。俺に喧嘩を打っているのか?」
「ちゃうって! 誉めてんねん! それから、ボクのことは弥九郎て呼んでて、言うてますやろ」
「全く誉め言葉には聞こえないが。それに……魚屋殿が俺を“石田サン”と呼ぶのに“弥九郎”などとは呼べぬ」
「え、じゃあボクが石田サンのこと名前で呼んだらボクのことも名前で呼んでくれますの? っていうか呼んでえぇの?」
「別に……魚屋殿の方が年長なのだし、俺は構わぬ……」
「わー! せやったら、サキちゃん。ボクのことは弥九郎って呼んでね!」
「さ、サキちゃん!? 俺はそんな呼び方は許可してない!!」
「えー……。えぇやん。可愛いし」
「意味が分からん!」
 まぁまぁ、と弥九郎が宥めていると、廊下から軽い足音が聞こえてくる。
 音を抑えているというより元々重さが無いのだろう。足音の主に二人が同時に思い至る。
 佐吉が少し障子を開けて廊下を見ると案の定、八郎が小さな体を目一杯使って駆けて来ていた。
「八郎君。魚屋殿はこちらにいらっしゃいますよ」
 八郎は少し驚いたように足を止め佐吉を大きな瞳で凝視したあと、先ほどより早足で佐吉たちのいる部屋までやって来た。
 八郎の後ろから慌ててたように追い掛けていた、恐らく備前から八郎に付いて来たのだろう、見慣れない女中たちは弥九郎の名を聞き、安心したように足を緩めた。弥九郎がいるなら自分たちが付いている必要はないと思ったのか、そのまま廊下に腰を下ろし八郎が出てくるのを待つようだ。
「弥九郎!!」
 佐吉が開けた障子を更に大きく開けて八郎が入ってくる。
「坊ちゃん、お行儀が悪いですよ。ここは筑前守様のお城なんですから――」
「八郎は弥九郎に会えるから急いで来たのに、会った早々そんなこと言うなんて弥九郎は冷たい。もう八郎のことなんて忘れたの? 八郎は一時だって弥九郎のことを忘れたりなんてしなかったのに……!!」
「坊ちゃん……坊ちゃんの仰りたいことは分かりますが、その言い様は誤解を招きます……」
 恋仲の男に言い募る女子のようなことを口走る八郎に弥九郎はガックリとうなだれた。うなだれた頭を横に向け、若干引いている佐吉へ視線を送る。
「サキちゃん、間違ってもボクと八郎坊ちゃんが妙な関係だなんて誤解せぇへんでよ……」
「分かっている。が、もし真実、そんな事になっているならお前を播磨の海に重石を着けて沈めてやるから安心しろ」
「…………」
「お待ち下さい。その場合、弥九郎だけを責めるのは早計ではありませんか?」
 佐吉の言い様に言葉を失っている弥九郎の横から八郎が口を挟む。
 ギョッとする弥九郎を横目に尚も八郎は続ける。
「貴方はその場合、幼い八郎に弥九郎が無体を働いていると思って、そのようなことを言ってくれたのだろうが、八郎が無理を言って弥九郎を付き合わせていることだって有り得るのだから一概に弥九郎ばかりを責めるものではない」
 子供らしからぬしかつめ顔で、子供らしからぬこと四角張ったことを言う八郎に弥九郎も佐吉も黙ってしまう。
「…………恐ろしいこと言わないで下さい」
 漸く弥九郎が疲れ切った表情で口を開いた。
「八郎は弥九郎を庇ったのに」
 不服そうに口を尖らせる八郎は先ほどとは違って年相応に見えるが、弥九郎は絆されなかった。
「どうしてボクが坊ちゃんとどうにかならなきゃならないんですか……」
「勿論、仮定の話だ。八郎だって弥九郎とどうにかなるつもりはない。八郎には心に決めた方がいるのだ」
「え!? 坊ちゃん、好いた女子が出来たんですか!? 備前の娘ですか? それともこのお城で何方か見初められたんで?」
 またしても子供らしからぬことを言った八郎だが、弥九郎はこの話題には食い付いた。
 佐吉は先ほどから目の前の主従の会話に口を挟めない。挟む気もないのだが、無事二人が会えた以上、自分の仕事に戻りたい。何よりこれ以上この場にいたくないといった表情だ。
「羽柴様家中の方だ」
「それでしたら、こちらの石田殿に頼めば間を取り持って頂けますよ、きっと」
「適当なとこを言うな!」
 巻き込まれるのは御免とばかりに否定する三成の手を八郎の小さな手がしっかりと握る。
「石田殿と仰るのですか。確か下のお名前はサキ……」
「佐吉です。というか八郎君、俺は橋渡しなんて出来ませんよ。そういったことに向かない男なので」
 人を怒らせてばかりで対人関係が得手とはいえない佐吉が誰かの恋を手伝えるとは到底思えない。意外と自分のことを分かっているようだ。
 瞳をキラキラと輝かせて熱心に見上げてくる八郎を早く諦めらせなければと佐吉は言葉を重ねる。
「この城の女子のことでしたら、おねね様に頼むと良いでしょう。俺ではお相手の名前すら知っているかどうか……」
「お名前は既に存じております!」
「でしたら話は早い。すぐにおねね様に言って――」
八郎が頼めば“遊び相手”として、すぐにねねが引き会わせてくれるだろう。
「石田佐吉殿」
「はい、何ですか?」
 いい加減、手を放してくれないだろうか。佐吉の願いは思い切り顔に出ていたが八郎は小さな手に益々力を篭める。
「石田佐吉殿です」
「は?」
「ですから、八郎の想い人は石田殿です。どうか八郎の妻となって下さい」
「えぇーーーー!?」
 佐吉も十分驚いたのだが、弥九郎が大袈裟に驚くので佐吉はすっかり驚く機会を失ってしまった。
 むっつりと黙り込んだ佐吉をよそに、弥九郎は興奮気味に八郎に詰め寄る。
「坊ちゃん、サキちゃんが好きなん!? いつの間に!!」
「今さっきだ。障子から顔を出された時の石田殿の愛らしさといったら……! あれで落ちない男はいない!!」
「俺は何度も障子から顔を出してますが惚れる奴なんて皆無です」
 実は少なくない人数が佐吉の何気ない仕草に心をざわめかせていることは、この城に来て日の浅い弥九郎にも知れているのだが、憮然と八郎の言葉を否定する佐吉は知らないようだ。
「確かにサキちゃんは可愛いらしいですもんなぁ」
「弥九郎もそう思うか。しかし石田殿は可愛いだけでなく美しい……!!」
「うんうん」
「貴様等は頭が腐っている」
 力説する八郎と、隣で何度も頷く弥九郎に対する佐吉の言葉には最早、敬意は一切感じられない。
「サキちゃんは素直やないかならぁ」
「ハァ!?」
「坊ちゃん、サキちゃんはついつい憎まれ口を叩いてしまうお人やけど、本当は心根の優しい子なんですよ」
「なる程。ツンデレというヤツだな。分かった。石田殿の表面上の言葉に一喜一憂せぬよう心掛けよう」
「それが長続きのコツやと思います」
「意味が分からん……」
 何やら頷き合っている二人に、怒鳴る気力もなく佐吉はただ呆れている。
「石田殿、必ず幸せにします!」
「普通に迷惑です」
 自分の手の倍ほどある佐吉の手をギュッと握りしめ大きな瞳を輝かせる八郎と、すげなく返す佐吉に弥九郎は遠慮なく大笑いした。
 弥九郎の笑い声に誘われたのか、庭で孔雀草の一群が楽しそうに揺れていた。







孔雀草の花言葉は『一目惚れ』。
弥九郎と佐吉の友情話にしたかったのに、八郎坊ちゃまの告白話になってしまいました…。
2008.12.29 up



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