訪魂歌





 米沢の地に暑い夏の日差しが降り注ぐ。
 滴る汗と共に体力を奪っていく太陽だが、作物にとっては欠かすことの出来ない命の輝きである。
 それまで一心不乱に振り下ろしていた鍬を耕していた地面に突き刺すようにして立てると、兼続は屈めていた腰を伸ばしながら頬を伝う汗を拭った。
「精が出るな」
 自身に掛けられた軽やかな声に兼続は一瞬目を丸くすると嬉しそうに振り返った。
「三成」
 そこにはいつの間に近づいたのか、この陽気にも涼しい顔をした三成が立っていた。
 強い日差しを浴びた肌は常より更に白く輝き、赤銅色の髪も幾分透けて見える。
「皆を飢えさせるわけにはいかないからな」
 日除けの笠の下、朗らかに笑う兼続に三成はふんと小さく鼻をならした。馬鹿にされているわけでは無いことは兼続には分かりすぎるほど分かっているので特に気にした様子もない。
「仕官を希望する者は全員取り立ててやったそうだな」
「石高は以前の三割もない。勿論今までと同じ俸禄はやれないが……それでも上杉に仕えたいと言ってくれてな」
「それで筆頭家老自ら畑仕事か」
「今はこれが一番皆の役に立つ」
 そういう兼続の顔には敗者の卑屈さなど一欠けらもない。そのことに三成は小さく安堵していた。
「それにしても、まさかお前が尻を絡げて鍬を振る姿を見られる日が来るとは思わなかったぞ」
「なぁに、元々薪割り役人の倅だ。幼い頃は近くの田畑を手伝ったものさ」
 少しからかうように兼続を見上げた三成だが、兼続は今日の天気のようにカラリと笑って返す。
「ま、俺も似たようなものだがな。……あちらは?」
 そんな兼続に苦笑する三成の耳に小さな木立の向こう側から声が聞こえた。何やら複数の男が声を張り上げているらしい。
「あちら側では川から水を引くための用水路を掘っている。用水路が出来ればあの辺りでも稲を植えられるからな」
 説明する兼続は顔も声も生き生きとしていて、三成は眩しいものを見るように目を細める。それは常の三成には見られない穏やかな微笑みで思わず兼続は訊ねてしまう。
「どうした、三成」
「どうしたとは何だ?」
「笑っているぞ。それも優しげに」
「俺が優しげに笑ったら悪いか!」
「いや、そんなことは無いぞ! 三成は黙っていても怒っていてもでも美しいが、笑うと咲き誇る花のように美しく愛らしいからな!!」
「……」
 誰もが見惚れる微笑をさっさと仕舞い、眉間に深く皺を寄せ兼続に食って掛かった三成だったが、兼続の力説に無言になってしまう。
「どうした?」
「……お前、いい加減その恥ずかしい言動を如何にかしたほうがいいぞ。仮にも名門上杉家の筆頭家老なのだから」
「私はこれまでこの生き方で景勝様、そして謙信公に仕えてきた」
 少し動けば褌が見えるほど尻を絡げ、使い込んだ手拭いを首に掛け、毛羽立った笠を被った姿でどうだとばかりに胸を反らす兼続に、三成は大きく息を吐く。
「今ほど景勝殿の器の大きさを実感したことは無い」
「何、三成は今頃景勝様の大器に気付いたのか? もう少し人を見る目を養ったほうがいいぞ」
「…………」
 敢えて何も言わないことで主張した三成の呆れに気付くこともなく、兼続は「それにしても良い天気だ」などと言いながら拳でこめかみから頬へと伝い落ちる汗を拭う。
「馬鹿。横着をするな。何のために手拭いを掛けているのだ」
 兼続の、幾分か日に焼けたようだが、それでも尚白い肌に付いた泥を払おうと三成が手を伸ばす。自分よりも上背のある兼続を見上げるようにして左頬の泥を優しく拭い、そっと離れた三成の細い指はしかし、戻りきることなく兼続の手に絡め取られた。
「三成」
「……」
「三成、行くな」
 頬に触れた盛夏の中とは思えない冷えた指先から何か感じたのか、兼続は別れを口にしていない三成を引き止める。
 三成は兼続の予感を否定することもなく、彼には珍しく少し曖昧に微笑んだ。
「三成」
 痛いほどの力は込められていないが決して放そうとはしない兼続の手の中で掌を合わせるように向きを変え、三成も兼続の手を握り返す。
「また来る。……どうせ直ぐに呼ぶのだろう?」
 儚く、しかし包み込むような微笑を湛えながら、しっかりと兼続の目を見て言うと三成は今度は悪戯っぽい表情をつくる。
「三成……」
 三成が彼にしては珍しい表情を次々見せる。対する兼続は雄弁過ぎるほど雄弁な男とは思えない、ただ縋るように恋しい人の名前を呼ぶだけだった。
 夏の日差しは白さを増し、周囲の景色を光の中に消していく。篭ったような熱気も、時折吹き抜ける風に揺られる木立のざわめきも、何も感じられなくなる。
 白い世界に笑みを浮かべた三成だけがただ静かに佇んでいる。それが、その時の兼続の全てだった。「行くな」とも「愛している」とも、伝えたい言葉を何一つ言えず、ただじっと最愛の人を見つめる。
「おーい、兼続ー!」
 どれ程そうしていたのか、大きな体に見合った慶次の大きな声に呼び戻されるように様々な色や音や温度が兼続の周りに戻ってくる。
 兼続の前には、耕さられるのを待つ硬い土の果てにそびえる吾妻山が見えるだけだった。
「そろそろ一休みしないかい? あっちの連中も一旦休ませて――……どうした?」
 大きな歩幅で隣まで来ると、細身に見えるがしっかりと鍛えられた兼続の肩を軽く叩いた慶次が、それまでの陽気な表情を一変させ慎重に問いかける。
 兼続の知性の煌きを思わせる黒曜石の瞳から一筋流れるものがあった。
「三成が……来ていたのだ……」
 今の今まで確かに居たと思った三成は一瞬で兼続の前から消えていた。一切の痕跡を残さず。
 音も無く涙を流し続ける兼続に向けていた視線を空へと移しながら慶次は少し笑った。
「そうか……今は盂蘭盆だったねぇ」
 南中を過ぎた太陽を見やる慶次の目は眩しそうに、切なそうに細められていた。

 慶長七年、陰暦七月十五日。
 三成が刑場の露と消えてから二度目の夏の終わりのことだった……。









旧暦の7月15日は立秋の頃なので夏の終わりとさせて頂きました。
残暑というより夏の盛りの暑さの頃なんですけどねぇ…。笑
本当は新盆で書いてたんですが、慶長6年の7月って、丁度景勝・兼続主従は家康に謝罪するために、京都へ向かってるとろだったので断念。
2008.09.16 up



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