恋心





 秋風が九度山を走り抜ける。
 清々しい陽気に恵まれ、幸村は愛馬と共に屋敷の周りを巡っていた。幽閉中の身である為、思うまま馬を走らせることは出来ないが、それでも外に出ることが叶わないわけではない。
 並足で進む馬の背に揺られる幸村の脳裏に思い浮かぶのは唯一人。



 十四年前に泉下の客となった、不器用で美しい人――……。



 ■■■



「三成殿」
「幸村。どうした?」

 幸村の呼びかけに三成は振り返り、平素と変わらぬ表情で応える。だが、自分の名を呼ぶとき、僅かだが三成の声に喜びが混じることに幸村は気付いていた。おそらく、自分が三成を呼ぶ声にも喜びが含まれているのだろう。それに三成が気付いているかは定かではないが。

「いえ、何というわけでも無いのですが……三成殿のお姿が見えたもので」

   愛しさと恋しさを滲ませて三成を見つめれば、彼の人はうっすら頬を染め、しかし不服そうに口を曲げる。

「何だ、それは。俺は色々と忙しいのだぞ」
「申し訳ありません、お役目のお邪魔でしたね。少しでもお声が聞ければと、つい……」
「いや、まぁ、多少の立ち話くらいどうとでもなるが……」

 幸村が素直に謝ると三成は弁の立つ彼には珍しく、しどろもどろになる。
 そんな三成の仕種の一つ一つが幸村の眸には愛らしく映る。

(ああ、私はこの人が愛しい……)

 それは幸村の心に確かにある気持ち。
 それを三成に告げたことはない。
 憎からず想っていてくれるのでは、という予感はある。しかし、三成を戸惑わせることも十分に考えられる。三成の負担になるのは本意ではない。
 何より……もし拒絶され、今のような関係すら築けなくなったら――。それが幸村には怖ろしい。
 今はただ、こうして側に居られるだけで……それだけで幸せだった。

「わッ……」

 急に強い風が吹き、三成の茜色の髪を乱していく。

「今日は時折、強い風が吹くな」

 風の過ぎ去った方を見つめ、三成は手櫛で乱れた髪を直す。
 幸村は彼の言葉には答えず、気付かないのか忘れ去られている頭頂部辺りで渦を巻いている髪をそっと梳いてやる。
 一瞬驚いたように動きを止めた三成だが、大人しく幸村の好きにさせた。常は白雪のような肌を真っ赤に染めて……。
 精一杯の優しさと愛しさを込めて、三成の髪が普段の整いを取り戻しても幸村は手を止めることは無かった。



 ■■■
 


 何故、真実にあの人を求めなかったのだろう。
 ぬるま湯のような曖昧な関係に甘えて、それ以上動こうとしなかった。
 例え想いが受け入れられなったとしても、手の届かぬところで愛する人の死を聞くよりはずっと良かったはずだ。
 想いを告げ、拒まれようとも共に戦場に赴き、命に代えてもあの方を守る。
 何故、その道を選ばなかったのか……。

(それは私が弱かったから……だな……)

 自分が傷つくことを恐れて、本当に大切なことから目を逸らした。
 会うたびに惹かれ、言葉一つに一喜一憂し、叶わない恋だとしても諦めることなど出来なくて。
 “お慕いしております”という一言が言えなくて、ただ笑顔で全てを誤魔化した。
 そして永遠に失ってしまった……自分の全てを捧げてたいと思えた人を。

(それでも私はこうしてのうのうと生きている)

 三成の死を知ったとき、死が頭を過ぎった。
 しかし、必死に自分と父の助命を願った兄のことを考えると、どうしても自刃することは出来なかった。

(それも、言い訳か……? しかし私は……)

 いつの間にか足を止めている愛馬に跨ったまま、幸村は苦く瞑目する。
 九度山に配され、戦とも政とも無縁の生活の中で三成の顔を、声を思い出さない日は無い。
 三成と共に過ごした日々が幸村を弱くする。
 けれど、と幸村は思う。

(あの美しく気丈な人を想った時間が弱さになるなど、三成殿に申し訳ないことではないか……?)

 命を守れなかったのなら、せめて、彼の人の志だけでも守るべきではないのか。
 例えそれが万の敵を相手にすることになっても。誰一人同志がいなくとも。三成が見せた義を尊ぶ心を、真っ直ぐな生き様を、今度こそ命を賭してでも守る。
 自己満足かもしれないが、それこそがきっと幸村に出来る償いであり、三成への愛の形なのだ。

(あの人に惹かれ、恋をしたことを弱さにしてはならない。三成殿を想う恋心は私の真実なのだから)

 数年来見せることの無かった清々しい笑みを男らしい顔に浮かべた幸村だったが、すっと表情を消すとを背後に鋭い声を投げた。

「誰だ」
「真田左衛門佐殿とお見受け致す」

 木立の間から現れた男は、幸村の誰何には答えず流れるような動作で膝を着いた。
 忍び者の動きに幸村は静かに警戒を強める。

「今はただの浪人だ」
「大坂城から真田様への檄文にございます」

 男は懐から一通の書状を取り出した。
 それは、本当の意味での戦国乱世の終わりを告げる戦の、始まりだった――。








2008.09.15 up
2008.12.15 remake



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